日本の普通の家である。 いま家を新築するにあたって、思いのままの間取りで個性的につくろうと思ったら、この在来工法にたよるしかない。
また日本の気候風土にもっとも適った家がつくれるのがこの工法であることもたしかだ。 ということで、無難なはずの在来工法なのだが、この工法もまた「合理化・省力化」という美名のもとに、本来の良さを減しつつある。
まず第一に、もはや本当の意味での「職人」がいなくなってしまったということである。 東京工大は、1881年に東京職工学校としてスタートしたが、「職」というのはたいへん高度のプロフェッショナルのことで、吉原の遊女のなかでいちばんバイテックの女郎を「お職」といった(これはプロ中のプロという意味である)。
それから有職などというのはいちばんの高級技術者という意である。 つまり職というのはもともとは立派な仕事をさしたのだが、職工という言葉の価値はしだいに下落して職工学校の名称は廃止された。
明治時代になって職工とか職人の地位が下落したのは、産業革命が大きな原因だといわれる。 マニファクチュア(工芸)が工業化されたわけである。
工業化が職工、職人を荒廃させた。 いま優れた職人である大工自体はあまっている。
ただホチキスのオバケのようなものでクギを打ったりしている叩き大工の中工、小工ばかりになって、本当に腕のいい職人の御用がなくなってしまったのである。 また、在来工法の良さを本当に生かす国産の材木良材も現在はなくなってしまった。

日本の林業は外材に押され、ほとんど壊滅的な状態にある。 したがって、在来工法といっても、もはや本当の意味での「職人」もいなければ、「材料」もないということで、「在来工法」として売ってはいても、在来工法でつくっているか否かは保証の限りではないというのが実状といわざるをえない。
もっと言えば、省エネ・省力化・合理化の美名のもとに、多く手抜き(省力・省資源)工事となっているというわけだ。 人手間と良材の豊かだったころはともかく、現在の「在来工法」は、前述の利点は残しつつも質を均一に高く保つのはむずかしくなっているということだけはたしかだと思う。
工法の良さというのは生産にとっての良さであって、住む側の良さでは決してない。 作る側・売る側の論理であって、住む側に論理はないことを改めて示しておく。
家は人生最大の買い物。 やはり在来工法が一番か、いやプレハブでも相当いけるし、はたまたツーバイフォーはどうか、と家の建て方、工法の選び方はむずかしい。

有料老人ホームの目覚しい進歩により、有料老人ホームの創出に繋がる研究開発が進んでいます。